1934年 |
昭和9年 |
9月21日 |
関西地方に大暴風雨襲来(後に、室戸台風)。児童生徒、教職員多数死亡。 |
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大阪市教育会の発議を受け、帝国教育会を中心に「教育塔」(風水害記念碑)建設を計画 |
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11月22日 |
全国連合教育会臨時評議員会で、風水害記念碑建設を決定 |
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1935年 |
昭和10年 |
5月 |
帝国教育会総会で全国殉難教育者も合祀すること。建設地を大阪市大阪城公園大手前広場とすることを決定。 |
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建設予算322,500円を小・中学校児童生徒、教職員より募金。一般篤志家より寄付。 |
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名称を「教育塔」とすることを決定。 |
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1936年 |
昭和11年 |
2月28日 |
帝国教育会理事会で、「教育塔規程」を決定。 |
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8月 |
「教育塔」に対し、文部省より補助金一萬円を、御下賜金3,000円、大阪府・大阪市より各5,000円寄付 |
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10月30日 |
第1回教育祭挙行。帝国教育会主催。教職員137名、児童生徒1,435名合祀 |
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1937年 |
昭和12年 |
10月30日 |
第2回教育祭(教職員31名、学生生徒児童59名) |
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1938年 |
昭和13年 |
10月30日 |
第3回教育祭(教職員3名、学生生徒児童55名) |
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1939年 |
昭和14年 |
10月30日 |
第4回教育祭(教職員6名、学生生徒児童111名) |
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1940年 |
昭和15年 |
10月30日 |
第5回教育祭(教職員2名、学生生徒児童92名) |
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1941年 |
昭和16年 |
10月30日 |
第6回教育祭(教職員19名、学生生徒児童67名) |
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1942年 |
昭和17年 |
10月30日 |
第7回教育祭(教職員6名、学生生徒児童85名) |
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1943年 |
昭和18年 |
10月30日 |
第8回教育祭(教職員16名、学生生徒児童143名) |
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1944年 |
昭和19年 |
4月 |
帝国教育会を官公私立、幼稚園から大学まで全教職員を正会員とする単一教育団体に再編。 |
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10月30日 |
第9回教育祭、大日本教育会主催(教職員18名、学生生徒児童146名) |
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1945年 |
昭和20年 |
8月14日 |
日本、ポツダム宣言受諾 |
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9月 |
大日本教育会を社団法人「日本教育会」と改称 |
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10月30日 |
第10回教育祭(教職員68名、学生生徒児童586名)、日本教育会主催 |
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教育祭記念「大講演会」開催。於、中之島中央公会堂 |
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1946年 |
昭和21年 |
10月30日 |
第11回教育祭、日本教育会主催 仏式にて行う。導師四天王寺大僧正(教職員249名、学生児童生徒2,439名) |
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1947年 |
昭和22年 |
6月8日 |
日本教職員組合結成大会(奈良/橿原にて) |
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6月18日 |
日教組、日本教育会が、日本教育会の改組について共同声明 |
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10月30日 |
日教組本部書記局を教育会館内に設置 |
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10月30日 |
第12回教育祭、日本教育会主催(教職員135名、学生生徒児童2,099名) |
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1948年 |
昭和23年 |
3月20日 |
日本教育会、会長に荒木正三郎氏を選任。8月5日、日本教育会解散を決定 |
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10月30日 |
第13回教育祭、仏式、導師四天王寺大僧正。 |
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日教組が主催者となる。(主催、日本教職員組合・大阪府教育会・大阪教職員組合) |
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(教職員17名、学生生徒児童123名) |
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教育祭行事の一環として、講演と映画「教育復興と教組運動」荒木正三郎氏 |
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子供の集い(於、大手前高校) |
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1949年 |
昭和24年 |
10月30日 |
第14回教育祭(教職員86名、学生生徒児童391名)主催、日本教職員組合・大阪教職員組合 |
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仏式を取りやめ |
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1950年 |
昭和25年 |
10月30日 |
第15回教育祭(教職員48名、学生生徒児童79名)主催、日本教職員組合・大阪教職員組合 |
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1951年 |
昭和26年 |
10月30日 |
第16回(教職員34名、学生生徒児童79名)主催、日本教職員組合 |
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1952年 |
昭和27年 |
10月30日 |
第17回教育祭(教職員24名、学生生徒児童22名) |
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1953年 |
昭和28年 |
10月30日 |
第18回教育祭(教職員37名、学生生徒児童76名) |
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1954年 |
昭和29年 |
10月30日 |
第19回教育祭(教職員48名、学生生徒児童126名) |
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1955年 |
昭和30年 |
10月30日 |
第20回教育祭(教職員94名、学生生徒児童325名 保護者・校医2名) |
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1956年 |
昭和31年 |
10月30日 |
第21回教育祭(教職員82名、学生生徒児童237名 保護者・校医1名) |
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1957年 |
昭和32年 |
10月30日 |
第22回教育祭(教職員79名、学生生徒児童154名 保護者・校医10名) |
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1958年 |
昭和33年 |
10月30日 |
第23回教育祭(教職員43名、学生生徒児童165名 保護者・校医8名) |
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1959年 |
昭和34年 |
10月30日 |
第24回教育祭(教職員67名、学生生徒児童200名 保護者・校医6名) |
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特別合祀教職員4名、児童生徒220名(台風22号) |
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1960年 |
昭和35年 |
10月30日 |
第25回教育祭(教職員128名、学生生徒児童215名 保護者・校医7名) |
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特別合祀教職員、生徒・児童8,290名(ひめゆり健児の塔、対馬丸など) |
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1961年 |
昭和36年 |
10月30日 |
第26回教育祭(教職員77名、学生生徒児童230名 保護者・校医14名) |
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特別合祀生徒・児童29名(集中豪雨、伊勢湾台風、諫早水害) |
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1962年 |
昭和37年 |
10月30日 |
第27回教育祭(教職員94名、学生生徒児童195名 保護者・校医4名) |
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特別合祀生徒・児童10名(山崩れ、集中豪雨) |
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1963年 |
昭和38年 |
10月30日 |
第28回教育祭(教職員93名、学生生徒児童196名 保護者・校医5名) |
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特別合祀生徒・児童17名(集中豪雨、雪崩) |
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1964年 |
昭和39年 |
10月30日 |
第29回教育祭(教職員80名、学生生徒児童208名 保護者・校医6名) |
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特別合祀教職員5名 生徒・児童57名(山陰風水害、みどり丸沈没) |
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1965年 |
昭和40年 |
10月30日 |
第30回教育祭(教職員59名、学生生徒児童163名 保護者・校医1名) |
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特別合祀児童生徒13名(集中豪雨、行事での水死) |
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1966年 |
昭和41年 |
10月30日 |
第31回教育祭(教職員92名、学生生徒児童227名 保護者・校医9名) |
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特別合祀児童生徒6名(台風、風水害) |
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1967年 |
昭和42年 |
10月30日 |
第32回教育祭(教職員84名、学生生徒児童229名 保護者・校医6名) |
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特別合祀教職員2名 生徒・児童58名(台風26号、集中豪雨) |
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1968年 |
昭和43年 |
10月30日 |
第33回教育祭(教職員51名、学生生徒児童179名) |
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特別合祀児童生徒32名(台風10号、集中豪雨) |
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1969年 |
昭和44年 |
10月30日 |
第34回教育祭(教職員75名、学生生徒児童184名 保護者・校医2名) |
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特別合祀生徒・児童9名(台風、集中豪雨) |
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1970年 |
昭和45年 |
10月30日 |
第35回教育祭(教職員65名、学生生徒児童163名 保護者・校医3名) |
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特別合祀生徒・児童14名(大阪地下鉄ガス爆発、集中豪雨) |
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1971年 |
昭和46年 |
10月30日 |
第36回教育祭(教職員63名、学生生徒児童179名) |
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特別合祀教職員2名 生徒・児童15名(台風、集中豪雨、公害死) |
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1972年 |
昭和47年 |
10月30日 |
第37回教育祭(教職員54名、学生生徒児童145名保護者・校医5名) |
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特別合祀教職員10名、生徒・児童337名(集中豪雨、公害死、戦没等) |
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1973年 |
昭和48年 |
10月30日 |
第38回教育祭(教職員55名、学生生徒児童152名 保護者・校医1名) |
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特別合祀教職員1名、生徒・児童10名(集中豪雨) |
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1974年 |
昭和49年 |
10月30日 |
第39回教育祭(教職員40名、学生生徒児童172名 保護者・校医3名) |
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特別合祀教職員1名 生徒・児童21名(台風、集中豪雨、公害死等) |