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教職員1人、児童・生徒2人、教育関係者4人をあらたに合葬
教育塔前で第88回教育祭を開催しました。

第88回教育祭合葬者

今回の新たな合葬者は7人で、その内訳は、教職員1人、児童・生徒2人、教育関係者4人です。

  

児童・生徒のおひとりは交通事故で亡くなられています。すべての子どもたちが安心・安全に登下校できる通学路の確保を、保護者・地域・教職員が一体となってすすめていくことがとても大切です。

 また、教育現場では、常態化する長時間労働や激務の中で、心身の健康がむしばまれた結果、亡くなられる教職員が増えています。病気の早期発見・治療やメンタルヘルスの推進等はもとより、多忙な状況の解消や長時間労働の是正がなによりも求められています。

合葬者7人 
教職員1人 児童・生徒2人 保護者・校医0人 教育関係者4人 特別合葬0人
合  葬 教 職 員 児童・生徒 保護者・校医 教育関係者 特別合葬
交通事故 0 1 0 0 0
教育活動中 0 0 0 0 0
病死 1 1 0 4 0
その他 0 0 0 0 0
地震災害 0 0 0 0 0
大阪城公園内の教育塔前で第88回教育祭を開催

1934年の室戸台風で未来への道が閉ざされてしまった多くの子ども・教職員を追悼し、その名を永くとどめるために建てられたのが教育塔です。それを契機に、教育に関わる活動で尊い生命を失った子ども、教職員、教育関係者の方々を心から追悼し、その名を永くとどめ、不幸な出来事が再び起こらないことを願って執り行われてきたのが教育祭です。

第88回教育祭は、10月29日(日)、この間新型コロナウイルス感染症の影響で参列のかなわなかったご遺族も同席のもと、開催されました。今回は新たに7人が合葬され、合葬者総数は27,293人となりました。

10時からはじまった祭典では、主催者を代表して、瀧本司日本教職員組合中央執行委員長が追悼の詞を述べました。その中では、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻や近年多発している大規模自然災害にふれ、一日も早い戦争の終結を願うとともに、安心で持続可能な社会につながる社会のあり方や生活のあり方を根本から問い直すこと、またすべての子どもたちが安心して暮らし、学ぶことができる社会の必要性を訴えました。 また、子どもの貧困や貧困の連鎖が社会問題化し、いじめや不登校、児童虐待の件数が過去最多となる中、発足したこども家庭庁に対し、すべての子どもの命や権利が保障され、居場所のある家庭や学校・社会になるよう、そのとりくみに期待をするとともに、発足と同時に施行されたこども基本法の理念のもと、子どもどうし、子どもと教職員、保護者・地域と教職員のつながりを大切にし、子どもたちが互いを認め合い、未来への夢や希望を持てるようにしていかなければならないと述べました。 そして、依然として深刻な問題である教職員の長時間労働について、多くの教職員が過労死ラインを越えていること、精神疾患による休職者も過去最多となったことにふれ、「今、学校現場が抱える問題の解決にむけ、私たちが考え得るあらゆる方策を、聖域を設けることなく早急に実行することが求められています。私たちは、長時間労働の是正をはじめとした学校現場が抱える問題の改善のとりくみをすすめてまいります。」と決意を述べました。また、東日本大震災から12年、熊本地震から7年が経過した現在も復興への道のりは未だ途上にあり、故郷を離れ、転居先、転校先での暮らしを余儀なくされている子どもたちに対し、寄り添い続けなければならないことも再度確認しました。

今回合葬された平田晴琉さんにむけて同級生のみなさんで作成されたお別れのことばを、代表として、中村行成さん、中倉和快さんが述べました。お二人は、「小学校での一番の思い出は、やっぱり修学旅行です。4人のメンバーで、遊園地のアトラクションや昼食、買い物も楽しみました。何度も何度もジェットコースターに乗って、最後は乗り過ぎてクタクタになるほど楽しみました」と、晴琉さんとの小学校時代の思い出にふれ、「ハル君がいなくなったあとに、もう一度あの遊園地に行く機会がありました。遊園地のそこかしこにハル君の記憶が残っていて、「早くジェットコースター乗ろ」とはしゃいでいた、あの日のハル君の笑顔を思い出したら、今ここにハル君のいないことが、本当に寂しくて、切なくなりました」と、晴琉さんの死を悼みました。また、中学校に入学してから陸上部で一緒に過ごした日々にふれ、「僕たちは、ハル君と一緒にタスキを付けて、ハル君と一緒に駅伝に出たかった。今年も、駅伝のシーズンが始まります。僕たちは、ハル君の分まで、精一杯走っています」と、晴琉さんに思いを伝えました。最後に、「僕たちは、ハル君のことを忘れません。いつか自分で車を運転する日が来ても、ハル君のことを思い出して、絶対に同じ悲しみを繰り返さないよう、ハル君のことを思い続けます。ハル君、僕たちは、いろんなことに精一杯チャレンジして、ハル君の分まで生きるよ。交通安全にも十分に気を付けて、子どもの安全を守れる大人になるよ。ハル君、空から、僕たちを見守ってください。あの笑顔で、僕たちを応援してください。ハル君、僕たちは、君を忘れないよ」と、晴琉さんに誓い、お別れのことばを締めくくりました。

また、遺族を代表し、岡武男さんのご遺族の古屋沙矢佳さんが謝辞を述べました。教員として長年にわたり教育活動に尽力され、退職後も甲州市議会議員等を務められた岡さんについて、古屋さんは「父を知っている多くの方々は父のことを愉快で楽しい人柄だとおっしゃってくれていましたが、脳裏に浮かぶ父の顔は眉間にしわの寄ったちょっと怒ったような表情ばかりです。父は仕事のことなど家で話すこともなく、幼い頃の私は父がどんな仕事をしているのか皆目見当がつかなかったものです。父と同じように教壇に立つことになって、父の仕事への向き合い方や家族への気遣いを実感したように思います」と語りました。また、「なかなか採用試験に合格することができなかった私を一番身近で応援してくれたのが父でした。弱気になった私を叱咤激励してくれたからこそ、私は生徒たちの前に立つことができるようになったのです」と、在りし日の故人を偲びました。最後に、古屋さんは、何事にも全力でとりくむ岡さんの生き方にふれ、「常に新しいものを取り入れようとする気概があり、多くのことにパワフルにチャレンジし、何事も楽しんでいた父は私にとって人生の師でもあります。私も父のように多くのことに挑戦しつづけていきたいと思います。そして故人が残してくれた思い出やメッセージを心の拠り所にして、しっかりと前を向いて生きていく所存でございます」と述べました。

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