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教職員3人、教育関係者1人をあらたに合葬
教育塔前で第84回教育祭を開催しました。

第84回教育祭合葬者

今回の新たな合葬者は4人で、その内訳は、教職員3人、教育関係者1人です。

  

教育現場では、常態化する長時間労働や激務の中で、心身の健康がむしばまれた結果、亡くなられる教職員が増えています。病気の早期発見・治療やメンタルヘルスの推進等はもとより、多忙な状況の解消や長時間労働の是正がなによりも求められています。

合葬者4人 
教職員3人 児童・生徒0人 保護者・校医0人 教育関係者1人 特別合葬0人
合  葬 教 職 員 児童・生徒 保護者・校医 教育関係者 特別合葬
交通事故 0 0 0 0 0
教育活動中 1 0 0 0 0
病死 2 0 0 1 0
その他 0 0 0 0 0
地震災害 0 0 0 0 0
大阪城公園内の教育塔前で第84回教育祭を開催

1934年の室戸台風で未来への道が閉ざされてしまった多くの子ども・教職員を追悼し、その名を永くとどめるために建てられたのが教育塔です。それを契機に、教育に関わる活動で尊い生命を失った子ども、教職員、教育関係者の方々を心から追悼し、その名を永くとどめ、不幸な出来事が再び起こらないことを願って執り行われてきたのが教育祭です。

第84回教育祭は10月27日(日)に開催され、全国各地から600人の参列がありました。今回は、新たに4人が合葬され、合葬者総数は27,269人となりました。

10時からはじまった祭典では、主催者を代表して、岡島真砂樹日本教職員組合中央執行委員長が追悼の詞を述べました。そこでは、前年に続き豪雨、台風が多発し甚大な被害をもたらしており、とりわけ9月の台風15号による家屋への被害や停電・断水など日常生活に支障をきたす状況が長く続いていることにふれ、今もなお不自由な生活を余儀なくされている方々に対しお見舞いの言葉を述べました。また、東日本大震災から8年半、熊本地震から3年半が経過した現在も復興への道のりは未だ途上にあり、転居先、転校先での暮らしを余儀なくされている子どもや、放射線の影響に不安をいだきながら学校生活を送らなければならない子どもたちに対し、寄り添い続けなければならないことを改めて確認しました。教職員の長時間労働の実態については、教職員の働き方は子どもとの関わりや学びにも影響を及ぼすものであることから、「学校における働き方改革」が学校現場で実感できるものとなるよう、実効性のある方策を求め、とりくみをすすめていく決意を述べました。

今回合葬された奥村慎一さんの同僚として、前田耕志さんが追悼の詞を述べました。高校3年生の担任、また学年主任として生徒の進路指導や入学試験準備等の業務に追われていた奥村さんが倒れた日のことについて、前田さんは、「奥村先生が倒れて病院に運ばれたと聞いても、また元気になって今までと同じ日常に戻るものだと信じていました。しかし、その後容体が悪化し、お亡くなりになられたとき、その事実を受け入れることができませんでした。お葬式のときにもまだ心のどこかで冗談なのではないかと感じていました」と突然の別れに無念の意を表しました。また、「生徒一人ひとりに対して親身になって話を聞き、進路相談にのる姿はとても印象的でした。そのおかげで多くの生徒が自信を持ち、就職に、進学にと自分の進路を決定できたのだと思います。3年生の担任として、卒業式を無事に終えたときには多くの生徒が奥村先生に感謝の念を抱いたでしょう。その証拠に、お別れには会場に座りきれないほどの生徒や卒業生が集まりました」と述べ、生徒からの信頼が厚かった奥村さんを偲びました。また2年間同じ学年団として多くの時間をともにした前田さんたち教職員も、奥村さんから多くを学び、支えられてきたと振り返りました。最後に、「私たちは奥村先生との楽しい思い出を心に、頑張っていこうと思います。これからも、いつもの優しい笑顔で見守ってほしいと願っています。奥村先生、本当にありがとうございました」と感謝の言葉を述べました。

また、遺族を代表し、近藤響介さんが謝辞を述べました。教職員として、かねてから疾病を患いながらも毎年参加していた太平洋戦争沖縄戦の勉強会から戻った直後にインフルエンザに罹患し、それが原因で他界した近藤俊介さんについて、ご子息である近藤さんは、「私は大学に通っており同じ頃にインフルエンザにかかって、寝込んでいた時に弟から連絡があり、父が亡くなったことを知りました。今年の年末年始に帰省し、釧路に戻る際に、父が「響介もう帰るのか。」といつもより寂しそうに言ったのを今も鮮明に覚えております。父はいつももう長くないぞ、と冗談で言っておりましたが、今回ばかりは死期を悟っていたのかもしれません」と、父親との最後の会話の様子を述べました。また「物欲はなく、お金はほとんど誰かへの贈り物や差し入れに使っていた」という近藤さんに対し、同じ職場で勤務した方々から「新任の頃、大変気遣っていただいてという言葉をたくさんいただき、仕事場での父親は常に周りに気を配っていたことを知りました」と、在りし日の近藤さんを偲びました。また、特別支援学級を担当していた当時の近藤さんから、障害のある子どもたちの長所の見つけ方や、保護者への配慮など、学んだことも多く、「そんな大きい父親の背中を追いかけて、私も父親のような生き方をしたいと思っております」と今後への思いを述べました。最後に、「遺族には、何年経っても語りつくせぬ思いや無念の思いが胸の中に渦巻いております。けれども、故人が残してくれた思い出やメッセージを心の拠り所にして、しっかりと前を向いて生きていく所存でございます」と述べ、謝辞を締めくくりました。

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