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教職員5人、児童・生徒1人、教育関係者3人をあらたに合葬
教育塔前で第83回教育祭を開催しました。

第83回教育祭合葬者

今回の新たな合葬者は7人で、その内訳は、教職員5人、児童・生徒1人、教育関係者1人です。

児童・生徒については、学校の教育活動等の疲労の蓄積により亡くなられています。すべての子どもたちのゆたかな学びや育ちを保障するための環境づくりを、保護者・地域・教職員が一体となってすすめていくことがとても大切です。

   

また、教育現場では、常態化する多忙な状況や激務の中で無理を重ね、心身の健康破壊がすすんだ結果、亡くなられる教職員が増えています。病気の早期発見・治療やメンタルヘルスの推進等はもとより、多忙な状況の解消や長時間労働の是正が何よりも求められています。

合葬者7人 
教職員5人 児童・生徒1人 保護者・校医0人 教育関係者1人 特別合葬0人
合  葬 教 職 員 児童・生徒 保護者・校医 教育関係者 特別合葬
交通事故 1 0 0 0 0
教育活動中 3 0 0 0 0
病死 1 0 0 1 0
その他 0 1 0 0 0
地震災害 0 0 0 0 0
大阪城公園内の教育塔前で第83回教育祭を開催

1934年の室戸台風で未来への道が閉ざされてしまった多くの子ども・教職員を追悼し、その名を永くとどめるために建てられたのが教育塔です。それを契機に、教育に関わる活動で尊い生命を失った子ども、教職員、教育関係者の方々を心から追悼し、その名を永くとどめ、不幸な出来事が再び起こらないことを願って執り行われてきたのが教育祭です。

第83回教育祭は10月28日(日)に開催され、全国各地から520人が参列しました。今回は、新たに7人が合葬され、合葬者総数は27,265人となりました。

10時からはじまった祭典では、主催者を代表して、岡島真砂樹日本教職員組合中央執行委員長が追悼の詞を述べました。そこでは、6月の大阪北部地震、7月の西日本豪雨、9月の台風21号、北海道胆振東部地震と多くの自然災害が甚大な被害をもたらしたこと、また、発生から7年半が経過した東日本大震災、2年半が経過した熊本地震の復興への道のりもいまだ半ばにある中で、「日本社会のあり方、私たちの生活のあり方を根本から問い直し、すべての子どもたちが安心して暮らし、学ぶことができる社会を創造していかなければなりません」と述べました。また、社会問題となっている深刻な教職員の長時間労働の実態についても、学校現場の働き方の抜本的な見直しを求めるとともに、長時間労働の是正にむけた実効性ある具体的とりくみをすすめていくことを誓いました。

今回合葬された伊井智さんとともに働いた教職員の代表として、富山県の辰尾信夫さんが追悼の詞を述べました。中学3年生の担任として、熱心に進路指導や教科指導にとりくむとともに、ソフトテニス部の顧問として、部活動の指導にもあたっていた最中に倒れた伊井さんに対し、辰尾さんは「伊井先生は、教員としての資質も高く、担任としてだけでなく、教科指導の中心や学年全体の生徒指導も含めて、時間を惜しまず生徒に関わっていただきました。そんな矢先の突然の不幸となり、今でも、たいへん辛く、胸が裂ける思いです」と述べました。また、朝7時以前に出勤、午後8時や9時の帰宅が当たり前であったことや、土日も部活動があり、倒れる日までの6ヶ月の間の月当たりの時間外労働時間が100〜130時間に及んでいたことに言及し、「私自身、もっと、もっと、気配りをして、小さい変化でも、気づいてあげることができなかったかと、今も思い続けています」と無念の意を表しました。その後、伊井さんの死が発端となり、県内の教職員の勤務環境の改善にむけた大きなうねりが起こりはじめたことにふれ、「今後は、県内ばかりでなく、全国へも影響し、教職員のよりよい勤務環境の実現へと、結びついていくと思っています。伊井智先生、改めて言います。本当にご苦労様でした。また、ありがとうございました」と別れの言葉を述べました。

また、遺族を代表し、藤本千景さんが謝辞を述べました。北海道教職員組合中央執行委員長や日本教職員組合中央執行委員長等を歴任し、2018年に他界した榊原長一さんについて、藤本さんは「父は北海道教職員組合時代に肺がんを患い、その後の人生は病気への恐怖とともに生きた人生でもありました。晩年には食道がんが見つかり、過去の治療の影響もあってか様々な病気を併発しました。しかし父は懸命のリハビリを続け、声を取り戻し、食事やお酒を嗜むまでに回復した時期もありました。しかしながら、命の灯火が尽きぬよう様々な努力を重ねてきた人生も、病には勝つことが出来ませんでした」と語りました。また、「父が亡くなった後、部屋の引き出しを開いてみると、『万が一の時』という手書きの手紙が残されていました。葬儀のこと、周囲への連絡、自身の略歴などが事細かく書かれており、残された者が困らないようにその後の対応を詳細に記していたのは父らしいなと感じました」と、晩年まで北海道や日本の教育のため尽力した榊原さんを偲びました。最後に「遺族には、何年経っても語りつくせぬ思いや無念の思いが胸の中に渦巻いております。けれども、故人が残してくれた思い出やメッセージを心の拠り所にして、これからを生きて行こうと思います」と述べました。

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