1934年の室戸台風で未来への道が閉ざされてしまった多くの子ども・教職員を追悼し、その名を永くとどめるために建立されたのが教育塔です。それを契機に、教育に関わる活動で尊い生命を失った子ども、教職員、教育関係者の方々を心から追悼し、その名を永くとどめ、不幸な出来事が再び起こらないことを願って執り行われてきたのが教育祭です。
第81回教育祭は10月30日(日)に開催され、全国各地から750人の参列がありました。今回は、新たに9人が合葬され、合葬者総数は27,254人となりました。
10時からはじまった祭典では、主催者を代表して岡島真砂樹日本教職員組合中央執行副委員長が追悼の詞を述べました。その中で、「多くの自然災害等が発生し、4月の熊本・大分地震、8月の岩手県、北海道を襲った台風10号などにより、多くの方々が亡くなられたことに対し、ご冥福をお祈りするとともに、自然災害を食い止めることは難しいことではあっても、このような被害は『二度と繰り返してはならない』という決意をあらためて共有し、ましてや人間が生み出してしまう惨禍については、より一層その思いを強くしたい」と述べました。また、「福島での原発事故が未だ深刻な影響を残す中にあって、多くの子どもたちが故郷を離れ、転校や転居を余儀なくされている事実や、放射線の影響の恐怖を抱きながら学校生活を送らねばならない子どもたちの姿をしっかり受け止め、福島で起こった事実に正面から向き合い、日本社会のあり方、私たちの生活のあり方を根本から見直し、子どもたちが安心して学び暮らすことができる社会を創らなければならない。子どもたちが主人公である学校、その成長を支援する教職員と保護者が協力し合い、ともに学びともに支え合う教育を創りあげ、安心して生活し、学び続けられる生活環境・学習環境を整備することが私たち教育関係者の使命であり、その実現に向け全力でとりくんでいく」ことをあらためて誓いました。
今回合葬された、内田智文さん、上野祐三さんが所属していた山梨県教職員組合の笹本信仁さんは、教職員を代表して追悼の詞を述べました。内田さんは、戦後の混乱の中、「行動を通して学ぶ」体験学習に情熱を持ってとりくみ、退職後も地区の区長や市の選挙管理委員長として地域の発展のために寄与されたこと、上野さんは「師弟同行」をモットーに、子どもたちと常に寄り添い、また退職後も市の教育委員長を務めるなど地域教育の充実・発展に寄与されたと述べました。また、「お二人とも、教職に就かれ退職されて以降も、『人』のために尽力された。現在、複雑化し、様々な課題を抱えている教育現場においても、お二人が実践してこられた『子どもたちのため』、そして『地域のため』に力を尽くすことがより重視されなければならず、お二人の実績をこれからもしっかり受け継ぎ、努力していくことを誓います」と述べました。
遺族を代表して、樋口紀子さんは、大阪府退職教職員連絡協議会顧問・日本教職員組合元中央執行副委員長であった樋口浩さんに対し、「夫の仕事はハードで、病気も長く、苦しいものでしたが、皆様に支えられながら活躍の場をたくさん与えていただき、温かい雰囲気の中で仲間とも交流し、仕事もともにさせてもらえて、本人も本望だったのではないかと思います」と語りました。最後に「遺族には、何年経っても語りつくせぬ思いや無念の思いが胸の中に渦巻いております。けれども、故人が残してくれた思い出やメッセージを心の拠り所にして、これからを生きて行こうと思います」と述べました。