1934年の室戸台風で未来への道が閉ざされてしまった多くの子ども・教職員を追悼し、その名を永くとどめるために建立されたのが教育塔です。それを契機に、教育に関わる活動で尊い生命を失った子ども、教職員、教育関係者の方々を心から追悼し、その名を永くとどめ、不幸な出来事が再び起こらないことを願って執り行われてきたのが教育祭です。
第80回教育祭は10月25日(日)に開催され、全国各地から750人の参列がありました。今回は、新たに12人が合葬され、合葬者総数は27,245人となりました。
10時からはじまった祭典では、主催者を代表して加藤良輔日本教職員組合中央執行委員長が追悼の詞を述べました。その中で、「阪神淡路大震災から20年が経過した今日、幾多の試練を乗り越え復興を遂げられた被災地の方々の経験や、震災が子どもたちに与えた影響を教育課題として社会的に共有し、復興の中で重要な課題として捉えられた実践の数々などを踏まえ、私たちはその教訓と経験も活かしながら、東日本大震災からの復興を果たしていかなければなりません」と述べました。また「戦後70年を迎えた本年は、改めて『平和』の意味を考えさせられる一年でもあった。平和学の創始者ヨハン・ガルトゥイング博士が提唱した『積極的平和』の意味を考えたとき、すべての子どもたちが学校で安心して学べる状況をつくり出していくことが、私たちにとっての『積極的平和』なのではないか。子どもたちが主人公である学校、その成長を支援する教職員と保護者が手をつなぎあい、共に学び共に支えあう教育を創りあげ、安心して生活し、学び続けられる生活環境・学習環境を整備することに全力でとりくんでいく」ことをあらためて誓いました。
今回合葬された、内記コ光さんの同僚の久保田豊さんは、教職員を代表して追悼の詞を述べました。久保田さんは、内記さんが子どもたちのことを第一に考え教育活動にとりくんできた生前の様子を語りました。特に、理科の専門性を生かし、子どもたちにとって学習をより分かりやすくするために教材を開発したり、発問を工夫したりしたこと、理科クラブでは、楽しい活動を重視して、さまざまな実験用具・器具等を準備し、実験に備えていたことなどを挙げ、「仕事や健康面について、もっと声がけをしていたらと本当に悔やまれます」と述べました。そして、「あなたの功績と名前は、一緒に過ごした私たちの心の中に、そして学校の中に生き続けることでしょう」と在りし日の内記さんの姿を偲ぶ思いが述べられました。また、「私たち教職員は、教育という営みを通して、平和を守り、命を大切にする社会、日本を創り上げていくことを誓います」と述べました。
2014年8月に56歳の若さで他界した門脇玄さん(前山形県教組執行委員長)の息子である史さんは、遺族を代表して謝辞を述べました。史さんは、生前父から「人は、偉くなればなるほど、どうしても上から目線で尊大な態度をとる人が多い。しかし、偉くなればなるほど、自分の仕事はより多くの方々に支えていただいて成り立っている。だからこそ、偉くなればなるほど、より多くの方々に感謝の気持ちを持ちながら生活すべき」ことを教わったと話し、「今後社会人として『実るほど首を垂れる稲穂かな』という言葉をモットーに生活していきたい」と語りました。最後に「遺族には、何年経っても語りつくせぬ思いや無念の思いが胸の中に渦巻いております。けれども、故人が残してくれた思い出やメッセージを心の拠り所にして、しっかりと生きていく所存でございます」と述べました。